2010年12月31日金曜日

本年の総括


正月準備も終わり、後は時間が経つばかりである。
毎年ながら、12月31日から1月1日になる時の
状況の変化には不思議な気持ちになります。
今日は神社に参る人は僅か2,3人であるが、
明日になると、ひっきりなしに千人単位で
人が参る。
一体何が起きているのか?
ああ、正月か・・・
昨日と今日がこれだけはっきり違うのは
一年に一度だけであり、後は、徐々に
人が減っていき、いつの間にか春を迎えているというのが
毎年の感覚である。特に、我が家では1月14日のとんどを
終わらせるまでが正月、という感覚で生きている。
そして、その延長で厄払い、節分、厄払い、と過ぎ、
いつの間にか、3月になるのである。
ともかく、誰もいないこの所に、次の日には何千人も
集まるというのは不思議以外の何ものでもない。

それはさておき、この一年を振り返ってみると
特別良いことがあったとか、劇的な変化を遂げた、
ということは無かったが、一言で言うと
出会いの年であったと言えるように思える。
その出会いで今日と明日が変わることは無いが、
そしてそれが、自分の中での変化に確実に関わっている。
前述したように劇的な変化は無いのであるが、
変化への繋がりとしての意味はあまりにも大きかった。
人は誰しも変身願望があるという、しかし、その為には
一つ一つの着実な積み重ねが必要となる。
同じ事の繰り返しは大事であるが、一回目と十回目が
同じでは意味がない。一回目から十回目の中には何らかの
変化が生じるところに繰り返しの意味がある。
今日と明日は僅かながら違った人間である。

「すべてには時が有り、縁がある。」

時を迎えるため、縁を迎えるための人間にならなければ
ならないのであろう。

この後、我が家では、年床さんをお迎えする。
いわゆる歳神である。正月の意味は、各家庭で
この神をお迎えし、もてなし、新年の安寧を祈念するというもである。

来年も良き年でありますよう心から願うばかりである。

2010年12月28日火曜日

ねこ。。。ストーブの前で

野生のかけらも見あたらない。

餅搗き

餅搗きと言っても、正月の寄付者にも配るものがあるので
量が多く、杵と臼と言うわけにはいきませんが、
それ以外は、餅米から含めて、全て手作りです。
後は、家とお宮の神様にお供えします。
その数だけでも、鏡餅20組はあります。


2010年12月27日月曜日

竈神祭

明日は餅搗きです。毎年1227日に餅搗きの安全祈願と一年の感謝、
来年の平安を願って「竈神祭」を行っています。
台所にある小さな神棚ですが、昔は土間の竈に祀ってあったのでしょう。
最近は竈の神を祀っている家も少ないと思いますが、
大事な神様です。
明日の餅搗きで火の災い等無いように。
昔は薪で焚いていましたが最近は楽を覚えてガスです。
撮影は勿論、新しいカメラで行いました。

2010年12月26日日曜日

デジカメ購入

新しいデジカメ購入しました。
FUJIFILMのFINEPIX F300

8月の七夕コンサートでRICOHのR10を
無くしてしまい、
買うタイミングを計っていました。
FUJIの画質の良さとデザインが良かったので
前からこれを買おうと思っていたのですが、
カメラのキタムラで25日、26日限定で22,000円で
出ていたので、下取りの2,000円引きの20,000円
で購入出来ました。
早速いじってみましたが、機能が多い。
使いこなせるか心配です。説明書と格闘しながら
徐々に覚えていく心算です。



2010年12月21日火曜日

能の稽古、最終日

昨日、能の稽古の最終日でした。
今年1月より始め、ついに一年経ったわけである。
能とは、習えば習うほど、武術の動きと一致するところがあり、
それどころか、形式を重んずるが故か、
現代武術以上に武術的な動きが残されていることに気付かされる。
試しに、能の動きを以て空手の突きなどを打ってみると
それまで以上の動きが出来ることが度々であった。

また、能の作品の心情的深みは、単純でありながら、
人の心に深く食い込む作品が多く、
これまた武術と同じく、禅の影響を深く受けていることが
よく分かる。
先人の神仏に対する誠心(まことごころ)とでも言うべきものか。

誠に温故知新を思い知らされる一年であった。
来年からも益々精進し、芸道を極めたいものである。


2010年12月20日月曜日

縄綯い

毎年、しめ縄を綯います。
とは言っても、鳥居などに
掛かっているあの大きな注連縄ではなく、
ホームセンターなんかで売っている荒縄位の
太さの注連縄であります。
これは、玄関や、社務所の出入り口に飾ったり
拝殿の正面に正月期間だけ飾るもので、
計六本綯っています。
初めて綯ったのは7,8年前ですが、その時は
何日も掛けて完成させたものだが、
今では、おおよそ一晩も掛ければ六本とも完成させることが
出来るので、我ながら成長したものだと、
自己陶酔に浸っております。

とはいうものの、昔の人は、毎日のように、
特に冬の間は縄綯いをしていたのだから、
相当早かったのでしょうね。
それを考えると、私の縄綯いなど、
やはり、子供の手習い程度なのか・・・・な?

2010年12月6日月曜日

甲野先生講習会

昨日行ってきました。
とはいうものの、ギリギリまで神社への参拝の予約が入っていたので、
なかなか出発出来ませんでした。3時、漸く西条を出発。
福山に着いた時には、ほぼ講習が終わっていましたが、甲野先生が、
では、技を見せてあげよう、といくつか技を見せて下さいました。
こちらとしては、5分でも講習が受けられればいいという思いで、
行ったので、大変有り難かったです。そして、その技は、以前より
更に進化したものであり、短時間では理解するのは難しいものでは
ありました。
その後、先生を囲んでの食事会。
勿論これにも参加し、あわよくば技の話を聞こうと構えていましたら、
店の客が少なくなった頃合いを見計らって、先生が、
「それでは、今日講習で見せた剣術を見せてあげよう」
と店の中で実演してくれたのでした、しかも真剣で!!
銃刀法違反ギリギリ!!(店は主催者関係者がオーナーなので問題は無かったのですが)

それ以外にもいろいろ出会いもあり(男女の出会いでないのが残念ですが・・笑・・)
参加者の中に、広大教員の方がいらっしゃって、お住まいが下見の辺り。
すっかり意気投合して、今度、うちの道場で一緒に稽古する約束を交わし、
これからの技の研究に更なる進化が望めそうです。

甲野先生の著書などを読むと、自然体で多くの人を甲野ワールドに
引きつけているのがよく分かるが、
我々も、どうやら、その中に入り込んでしまったようだ。
恐るべし、甲野マジック。



2010年11月30日火曜日

學而不思則罔思而不學則殆

學而不思則罔思而不學則殆

学びて思はざれば則ち罔(クラ)し
思ひて学ばざれば則ち殆(アヤウ)し

毎日が勉強です。
学んでも、自分で考え、自分の中で消化出来なければ、
それは、人の情報をトレースしただけで、只のはりぼてに過ぎず、
考えるばかりで、学ぶことをしなければ、
独りよがりの思想が出来上がるに過ぎません。
しかし、学び且つ考え且つ学び且つ考えれば、
情報が智恵になり、思いが形になる。

学(まなぶ)は、「まねる」ことから来ているといいます。
先人の知恵を学び、その意味を理解するまで、
ひたすら考え抜く。
時には脱線もします。でもそれでいいんです。

自分を「型」に嵌め、その「型」の中でもがき、
「型」から出ようとしながらも、
自分が「型」そのものになった時、
人は「型」から自由になり、世界が無限に広がるのです。

「学ぶ」こと、「思う」こと、その意味は深く果てしない。

2010年11月15日月曜日

「頑張る」というパラドックス(補足)

昨日、私は「頑張る」ことに含まれる自己矛盾を指摘するために、
空手の形競技を引き合いに出し、
現在の空手の形はパントマイム合戦に陥っていると指摘した。
これはあくまでも「頑張る」中で起こる問題点の
象徴として提示しただけで、
決して空手の形競技を全否定したものではないことだけは、
断っておきたい。
空手の競技種目が組手のみだとしたら、恐らく今ほど形を
熱心にやる空手家は多くなかったであろう。
剣道や柔道がそうであるように。

空手家は「形」を稽古するものであるという認識のお陰で
私は空手の深遠さに触れることが出来た。

物事には必ず、長所と短所が混在する。
モノの欠点をあげつらって、その存在自体を全否定することほど
馬鹿げていることはない。
良いか悪いかの二元論で判断することは、
単純で簡単だが、それでは思考停止状態になり、
新たな発展や発見は望めない。

昔の技術も今の技術も素晴らしい事は沢山あるし、
欠点も互いに存在する。
要は、上手に取捨選択すれば良いだけの話である。

2010年11月14日日曜日

「頑張る」というパラドックス

「頑張る」、このことに対して疑問を持ったことのある方はおられるだろうか?
「頑張る」に対する疑問とは何か?

実は、私は最近この「頑張る」という行為に対し、
非常に疑問を感じ出したのである。
どういうことか?
あなたは「今、すごく頑張ってますっっ」と思っている時、本当に頑張っているのか?
実は、それは勘違いに過ぎないのではないか?
「失礼な!!」と思われる方もいらっしゃることだろう。

しかし、最近私は思うのだ、「それは、本当に外的な圧力による頑張りなのか?
自分で作り出した圧力に対して一人で頑張っていると思い込んでいるのではないか?」

以前このブログで、私は、突きを打つ時、力を抜けば抜くほど威力の上がる突き、というのを説明したことがある。これは、本当に力がゼロになっているのではなく、屈筋、つまり、「突き」という腕を伸ばす行為と逆の、曲げる筋肉の力を抜くことによって、抵抗なく腕を伸ばせるようにすることである。
説明だけ読むと、何だ当たり前じゃないか、と思うが、実はこのことが出来る人間というのは、特別な訓練を受けた者か、持って生まれた天性の才能に恵まれた者に限られている。

例えば、何もない空間で、手を前に出し、壁を押すような形で前に進んだとする。
皆、ただ前に進むだけであるだろうし、この行為を汗水垂らして行う者など皆無であろう。
しかし、ここで「これは重い物を押すトレーニングです。力を込めて頑張って前に進んで下さい」と指定したとたん、恐らくほとんどの人が全身に力を込めて、歯を食いしばって行うのではないであろうか。
これこそ人間の身体の「頑張る」ことへの勘違いである。

そこには何もないのだ。力を込める必要性などどこにもない。
しかし、体は経験上、こう思っている。力を入れること、つまり、力むことが「頑張る」ことであり、実際に役に立つことであり、力を出さないことは、怠け者のやることで何の用もなさないと。だから、何も無い空間でも力を入れてしまう。

力を込めるも何もそのまま進んだ方がいいし、物を押すトレーニングなら、実際に重い物を押す方が良い。それも如何に楽に押せるかコツを探すように。だから、この「何もない空間で力を込めて進む」トレーニングなど、物を押すという行為に対して、百害あって一利もないのである。

しかし、これをくそまじめに真剣に取り組み、なおかつ、競技にまでしてしまったモノがある。
それが空手の「形」である。
恐らく、空手経験者の方は、一度は、いや、耳にたこができるほど、師範や先輩に言われたのではなかろうか「形を行う時には相手を想定して、倒すつもりで行え!!」と。そして、精一杯力を込めて突き蹴りを繰り返してきたのではないだろうか。
空手の形は、力を込め、スピードに乗せ、大きな気合いを入れ、迫力が出れば出るほど、素晴らしい形であると評される(勿論、肩や背中に力が入り過ぎだとか注意を受けることはある)。
実は、これこそが、「何も無い空間を押して歩く」行為にも関わらず、力を入れて如何に本当に壁を押しているか見せる行為である。
この勘違いにより、空手の形の多くはパントマイムと化しているのである。

ある物体が進む時、外的な抵抗がない限り、ただひたすら進むだけである。
外的な抵抗、例えば壁などに、ぶつかった時初めてその物体に加えられたエネルギーがはっきりする。だから、進んでいる物体に外的な抵抗がなければ、人間はその物体のもつエネルギー(衝撃力)を理解し得ない。
例えばこんな経験は無いだろうか?TVなどでボクサーが行うシャドーを見てそれがどれくらいの強さなのかは分からなかったが、ミットやサウンドバッグなどを叩く姿を見て初めてその威力の凄さを理解したという。
また、ある物体がゆっくり目の前を通り過ぎた時は何とも思わないが、ドスンッと地面に叩き付けられ、それが砲丸の球であった事を理解した時に、初めてその恐ろしさに気付くという。
(空手の試割りがそれである。空手家が何枚もの瓦や、何本ものバットを折ることによって、初めて技の威力を見る者に知らしめることが出来る、実際に出来るまでは、特に空手を知らないものは、その技に何枚もの瓦を割るほどの威力があることを理解出来ない。)

結局、人間が物体のエネルギー(衝撃力)を実感するのは、物体に外的な抵抗が加わった時のみである。

だから、空手の「形」は、その技の威力を目に見えるようにするため、自分の中で抵抗を作り、衝撃力を演出しているに過ぎないのである。その為、「形」のまま技を繰り出すと相手には全く通じない技となってしまい、形と組手は別物、という結論しか出ないのである。
当たり前である。一生懸命、アクセルを踏みながらも、同時に自分でブレーキも踏み込んでいるのであるから。

実際に使える「形」は、「何も無い空間を押して歩く」行為が基本とならなければならないのであるから、全く迫力もなく、衝撃力も見る者に伝わらないものにならなければならない。(出るとしたら、伸びきった腕や脚が急激にビンッと張る時ぐらいであろう)

しかし、これでは絶対に形試合に勝つことは出来ない。「あんな技が効くわけが無い」とか「あれのどこが空手か!?」、酷い時には「やる気があるのか!」などと罵倒されることになるであろう。
前述したように、形試合で勝つには、力を込め、スピードに乗せ、大きな気合いを入れ、迫力を出さなければ勝てないのである。
「何も無い空間を押して歩く」行為にも関わらず、力を入れる、
つまり、形競技は「頑張って見えない敵と戦っているパントマイム合戦」をしているに過ぎない。

これを読んで理解した皆さんは、空手とは何と無意味なことに時間を費やしているのであろうか、とお思いになる事であろう。
しかし、この現象は空手に限った事ではない。人間というのは、どういう訳か、力を出して、しんどいことをしなければ頑張った気がしないのである。その為、外的な抵抗がない時には、自分で抵抗を作り出し、これに対して力を出すことで自分が頑張っているという感覚を作り出していることが多い。
もし、今、自分が頑張って辛いことでもしんどいことでも、努力と精神力でくぐり抜けているぞ!!、と思っている方は、一度確認した方がいいかもしれない。
自分のしていることは「何も無い空間を押して歩く」事であるにも関わらず、内的抵抗によってしんどくて辛い、その割に進んだ距離は僅か、という状態になってないか?。

「何も無い空間を押して歩く」のである、ただただ普通に歩けばいい。すると今まで、苦労して何日も掛けて進んでいた距離も、僅か数秒で進めてしまうこともあるかもしれない。

「頑張る」という言葉には何らかしらの魔力がある。
「頑張っている自分」、それは本当に外的要因に対し力を出しているのか、
自分で自分に抵抗を作り、一人で頑張り、その実は少ない・・・
「見えない敵を相手に頑張ってるパントマイム」状態になっているのではないか?
頑張るという状況の時にはそれを確認しなければならないであろう。
自分で作り出した内的抵抗を、肉体的にも精神的にも、取り去り、ごく自然に「何も無い空間を押して歩」けた時、人は、より大きな可能性に気がつくのではないか。


極楽は 西にといえど ひがしにも
きたみちさがせ みんなみにある


以上、空手の「形」よりの発展的考察でした。






本日七五三

お参りが沢山ありました。

お琴の体験。

猫が人気。
タマ駅長をまねて、ねこ宮司なんてのも作ろうか。

毎年、人気の巫女さんの写真。
表情が固いです。
「人気の巫女さん」の写真、なのか、
人気の「巫女さんの写真」、なのかは不明。

2010年11月9日火曜日

陽明文庫・国宝展

筆の里工房の陽明文庫展に行ってきました。
近衛家に伝わるおよそ千年の歴史を感じる素晴らしいものでした。
当時の人たちの教養の深さにはただただ感服するばかりです。
やはり、本当に尊敬される人間の条件は、精神性にこそある、
それを再認させられました。
私には教養が皆無である。先人の知恵と感受性に敬するばかりである。

2010年11月5日金曜日

尖閣ビデオ流出

別にどうってことはありません。
今の政権には期待出来ませんので。
ただ、願わくば、もう何もしないで欲しい・・・

よく「日中交渉の落としどころ」などという言葉が飛び交ってますが、
尖閣問題の落としどころは、日本の領土であると中国に認めさせる以外ありえません。
経済は奪われても再生出来るが、領土は奪われたら戦争を起こす以外奪い返す方法はない。
残念ながら、領土問題とはそういうものです。
納得いかない人は、パレスチナ問題でも調べて頂きたい。

かつて下関戦争で和議交渉にあたった高杉晋作は、相手方の要求をほとんど呑んだが、
領土に関する要求は一切呑まなかった。領土を奪われることの恐ろしさを、
アヘン戦争を通じて、嫌と言うほど知っていたのだ。
鎖国状態であった日本人の方が、現政権よりよっぽど、国際感覚があったといえる。

結局、国家とは何か、という認識が無いのだ、現政権には。
国のトップが国家の解体を望んでいるのだからどうしようもない。
望むなら、何をすることもなく、速やかに身を引いて頂きたいものである。

2010年11月3日水曜日

明治節

今日は文化の日ですが、本来の意味は、明治天皇の御生誕日であることから、戦前までは「明治節」と呼ばれていた休日です。
本来、日本国憲法で制定されている休日は、祝祭日と言われ、読んで字の如く、祝いの日と祭の日を当てています。つまり、祝祭日は、決められた日に存在することに意味があり、日本の文化を象徴する日であるとも言えます。祝祭日に国旗を掲げる意味はここにあります。
その為、この日を勝手気ままに移動させるというのは、祝祭日の意味を無くし、ただの休日にした上、極めて人工的なものにしてしまうことに他なりません。
ハッピーマンデー法なるものは、経済優先・文化軽視の最右翼と言える悪法でありましょう。かつ、今の日本人の精神を反映したまさに象徴的な法律とも言えます(つまり日本人の文化・教養に対する精神性はここまで劣化しているとも言えるのです)。
祝祭日はそれぞれに日本に於ける文化・伝統・歴史を内包しています。ただの休みと片付けず、それぞれの意味と背景を知ることが、文化的厚みのある生活ではないでしょうか。

ちなみに、次の祭日の11月23日は勤労感謝の日ですが、本来は新嘗祭(にいなめさい)という豊穣感謝の祭を執り行う日です。全国の神社は勿論、皇居では天皇陛下が、御自ら、祭祀を執り行われます。

2010年10月30日土曜日

武術の可能性

最近、武術の可能性に大きく期待が持てるように思えてきた。
いままで、絵画や文章を使って自分の思いを人に伝えようとしてきたが、どうにも限界を感じることが多々あった。
しかし、この一年でかなりの進度で自分の武術を深めることが出来たと実感しているが、これを人に伝えた時、相手に大きな驚きを以て伝えることが出来る。勿論、言葉や文章で伝えるのでなく、実際に実演し、体感してもらうことで可能となる。
前回、ブログで書いた突きや、甲野先生に教えていただいた体術を実践すると、相手にビビットに伝わる。特に説明した時に「嘘だろう、そんなわけがない」という顔をしている人間ほどそのギャップが大きくなるので見ていて心地がいい。

このことが一体何になるのか、そんな疑問を持つ方もいるであろう。
現代日本人の問題は、自分の知る世界、目に見える世界以外は信用しない人間が増えた事ではないかと思う。そんな人間にどんなに文化芸術の素晴らしさ、精神の重要さを説いたところで、その人間に受け取るだけの見識がなければ、馬の耳に念仏である。

 しかし、武術の場合は体感である。どんなに頭で理解出来ない事であろうと、信じられないことであろうと、今現実に目の前で起こっていれば理屈もへったくれもありはしない。受け入れざるを得ないのである。
すなわち、相手に、自分の知る世界とは、全く別の違う世界があると、体で理解させることが可能なのである。
結局、現代日本人は頭でっかちになりすぎ、多くの勘違いに支配されているのが現状である。この固まった現代的認識を壊すことで人間の見識を広げ、様々なものを伝える為の大いなる手がかりになるのではないかと、可能性を感じている。そして、しいてはそれが、武術だけではなく、日本文化の素晴らしさを伝えてゆくことに繋がってゆくのではないかとすら愚考している。

その可能性を更に広げるために、武術修行に励み、自身の技の完成度をより高めなければならないという思いが高まってゆく。

(しかし、日本人に日本文化の素晴らしさを伝えなければならない、とは全く以て意味の分からん世の中ですな。)

2010年10月18日月曜日

恐ろしい話

ここ最近、尖閣諸島の話題が出る度に憂鬱な気分と無力感に苛まれてしまう。
そんな中、こんな話があったそうな。

 18日の参院決算委員会で自民党の丸山和也氏は、事件で逮捕した船長の釈放には、来月横浜で開くアジア太平洋経済協力会議(APEC)に影響することへの懸念があったとし、釈放直後に仙谷官房長官と電話で話した内容を“暴露”。

 「判決まで拘置して強制送還すべきだった」と訴えると、仙谷氏は「APECが吹き飛んでしまう」と答え、「日本が中国の属国になる」との懸念を伝えると、「属国化は今に始まったことではない」と応じたという。

 仙谷氏は答弁で「健忘症にかかったか、今暴露された会話の記憶は全くない」と否定。18日夕の記者会見では「何らかのことを友人関係で話したとすれば、国会で質問されるのは不本意だ」と不快感を示した。

(2010年10月18日20時18分 読売新聞)』
誰だ!!こんなやつに投票したのは!!!
私は、民主党政権になった時、一番恐れていたことが、外交上の失策であったが、
予想通り、いや、恐ろしいほど予想以上の失策であった。
しかも、更にこの失策は未だ現在進行形なのである。

丸山氏の国会質問はネットで見られるようになっているので、
興味のある方は是非ご覧になると良い。

こんな人物が国のトップだと言うことも恐ろしいが、
このことをあまり報じないメディアはそれ以上恐ろしい。
こんな時にこそ、権力の監視をするのがメディアの役目ではないのか!!!!!

日に日に無力感に情けない思いがつのってゆく。

2010年9月26日日曜日

逆説的希望

尖閣諸島問題はこじれにこじれ、最悪の状態になってしまっている。
この問題は多くの人が、論じているので、
浅学の私が改めてここで取り上げる必要は無いであろう。

ただ、この問題は今後、更に問題を呼び、日中の歴史問題までに発展し、
日本をアジアのリーダーと期待する東南アジア諸国の信頼を著しく失墜させ、
ひいては日本経済にまで悪影響をもたらすであろう。

しかし、私はこの事件のお陰で僅かな希望を持っている。
それは、このことで日本人の国家観、国際社会の現実について
少しでも認識が改まってゆくのではないかと。

日本人は、戦後から、防衛、国家戦略をアメリカに任せてきた。
その為、日本では、国家の防衛、国際間に於ける国家戦略を持つことは、
国際社会に不安を与え、紛争の火種になるのではないかと、
勘違いするようになってしまった。
そして、日本が軍備をもたず、国家同士の摩擦を避けること、
つまり相手国の嫌がることはせず、その上、主張もしなければ、
世界は平和に保たれると本気で信じる人間を大量生産することとなってしまった。
私は、そんな思想を「お花畑思想」と呼んでいる。

今回、日本政府は、軍事的圧力を見せるどころか、経済的圧力、
いや、日本の正当性の主張すら放棄してしまった。
この行動は前記の「お花畑思想」の考えでは、このままアジアの安定が
保証されるはずであった。
しかし、現実は日本の領土、領海を侵略されかねない危機を迎えている。

この状況を見て、日本人は目覚めるのではないか。
国際社会はエゴとエゴのぶつかり合いであり、トラブルとなろうとも、
はっきりとした主張、また、時には相手国への制裁を加え、
そして、二国間だけでなく、国際社会に自らの正当性を訴えなければ、
自らの現状すら守れないという現実。
その為に必要不可欠なことは、日本人としての誇りを取り戻し、
自分たちの守るべきものは何かを認識し、アメリカに任せてきた防衛を
自分たちの手に取り戻し、真の自主防衛を実現し、アジアの中の日本としての
国家戦略を明確にすることであると、気付くのではないか。
それは、時間のかかることかもしれない。

だからこそ、このまま中国が傍若無人の振る舞いを、むしろ続けてくれる方が、
長い目で見た時、日本にとって有益なのではないかとすら思えてくる。

日本国民は、この事件をきっかけに自国を守るのは自分たち国民であるという意識に
目覚めることに、私は期待する。

2010年9月24日金曜日

尖閣諸島は中国のもの

になってしまったようです。
絶対に譲歩してはいけない場面で中国人犯罪者を
釈放してしまったのですから。

ある人が言っていました。
「団塊の世代は、国家解体を目指して学生運動をしていた。
 そんな世代が政権を担うようになったのだから、今の日本の
 中枢の国家意識は非常に脆弱である。」
まさにその通り。国家の生命線とも言うべき領土問題(政府会見では、
尖閣諸島には領土問題は存在しませんが)で簡単に引いてしまった。
外交は戦争である。外交上の敗北、つまり日本はまた敗戦国となったのだ!!
我々はいつまで、敗戦処理をしなければならないのか!!!!

この根本は、日本人の大勢が勘違いしている「戦争と軍隊」への認識に起因するように思う。
このことについては、いずれ、このブログでも論じるつもりである。

今日は新たな敗戦記念日となった。

2010年9月19日日曜日

甲野善紀先生

昨日、福山での甲野善紀先生の稽古会に参加してきました。
1時半からの開始でしたが、道が混んでいたこともあって、15分ほど遅れて参加。
4時半まで、3時間休み無しの密度の濃い稽古会でした。
甲野先生のことはご存じの方も多いとは思いますが、様々な分野に古武術を応用されメディアでも注目される人です。(笑っていいともにも出演歴あり)
私にとっては、この人の著書により武道観が変わるきっかけになった人であり、お会いしたい人No.1の人物でだったのです。
そして、この人、本物です。いろいろ技をかけてもらったり、実演してもらったりしたのですが、多くの武道家が不可能だと言っていることを、いとも簡単にやってしまう。
私は、大学時代少林寺拳法もやっていたので、関節技の逃げ方、抵抗の仕方はだいたい分かっているつもりでした(過去形になりました)。甲野先生が技を掛ける時、おおよそ普通の武道家なら嫌がるであろうようにするのですが、いとも簡単に崩され、制されてしまう、しかも、力任せではなく、赤ん坊をあやすが如く。そんな私でしたから、見本に丁度良いと思われたのでしょう、ことあるごとに技を掛けられました。まったく光栄の至極です。
技については、ここで文字に起こすのはなかなか難しいので略しますが、ちょっとした、手の握りの形や、意識の変え方で、嘘のように技が変わってくる。
「先生、どうして、そうなるのですか?」と聞けば、
「よく分かりません、ただ、こうすると自分の体の中で繋がったという感覚はあるんです。これを発見した時、自分でも驚きました。ほんの少しの違いなんですけどね。この時は力が伝わるけど、こうしたら全然力が伝わらない。」と言って、僅かに手の向きを変えながら、教えていただきました。
本当に濃い時間でした。

その後、甲野先生との懇親会にも参加させていただいたのですが、稽古会より更に濃い時間となったのでした。話題の豊富さ、顔の広さ、は尋常ではなく、その上、全く偉ぶることもなく、気さくに、いろんな話を聞かせていただけました。しかも、ホテルの中華料理屋にも関わらず、技まで掛けられました(笑)

甲野先生は「この体の使い方は、先月に気付いたのですが・・・」と言う言葉が飛び出し、御年61歳となられて尚進化しておられる。
福山にはわりとよく来られているらしいので、次回も続けて参加しなければ!!。

2010年9月14日火曜日

亡国ここに極まれり

沖縄県・尖閣諸島沖の東シナ海の日本領海で
中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突した事件があって暫く経つ・・・。

朝のニュースを見ているとあまりに腹が立った。
TOP、重要ニュースが、民主党代表選挙や押尾学裁判のオンパレード。
領土問題は国家の最重要課題である。そのはずなのに、
新聞やテレビ、果てはネットニュースまで、
この問題についての扱いがあまりにも小さすぎる。
今、日本は国土防衛の岐路に立たされているにも関わらず、
国民的関心がこのように低い状態であって良いはずがない。
意見、考え、主義主張はどちらでも構わない、
今こそ国家防衛、外交方針について、マスコミが国民に喚起すべきではないのか。
この重大問題に議論すら起きない状態はあまりに異常である。
口蹄疫の時といい、何かがおかしい。
これだけ報道がなされないと、報道統制でもかかっているのではないかと
勘ぐってしまう。

そして、なんの力もない自身への無力感。

この国の国民はどこまで自国に関心を持たないのであろうか・・・。

2010年9月13日月曜日

不幸が好きな人たちへ

なかなか的を射ている記事があったのでそのまま抜粋します。

他人のカネの使い方に文句をつける奴がいる。
ちょっと前に、麻生首相がホテルのバーで飲んでたら「庶民感覚がない」とか叩かれたけど、
金持ちが貧乏人みたいな生活してたら、社会に金が回らんだろう。
金持ちの預金残高が増えて、貧乏人が失業して余計貧乏になるだけだ。
むしろ、金持ちが豪勢なカネの使い方をするのは、社会に対する責務だろう。
たくさん稼いだらたくさん使って社会に還元する方が、貧乏人にとっては余程ありがたいことだ。
そういうのは結局、「俺が貧相な生活で我慢してるんだから、お前も我慢しろ」という、
貧乏人のひがみ、ねたみ、そねみであって、それが回りまわって貧乏人の首を締めてるんだから馬鹿な話だ。
日本人によくある愚かな同調圧力としか言いようがない。


それに対して、金持ちが「どうやって大金を稼いだか」は、あまり問題にならない。
他人を騙したり、不幸にしたりしてカネを稼いでる奴がいっぱいいるのに、
被害者が大勢出てきて社会問題にならないと、滅多に断罪されることはない。
社員や取引業者を恫喝したり、使い捨てにしたり、過労死させたりしている会社はたくさんあるが、
そういう会社が(違法に利益を得て)業績を伸ばすと、断罪されるどころか賞賛される。
社長がテレ東のドキュメンタリーに出演して、愚にもつかない精神論を垂れ流す。
それを見た中小企業のオヤジが、「ウチもあれくらいやらないとダメだ!」とか言い出す。不幸の連鎖。


どうしてこう、日本人は不幸自慢が大好きなんだろうか。
他人の幸せを「羨ましい、ああなりたい」と言わずに、「けしからん!」と言ってしまうのか。
みんなで幸せになることが社会の目的じゃないのか?

いろいろ考えさせられます。

確かに、不幸なやつの方が偉い、というような空気感はありますね。
ともすれば、二親ともいなくて、人種的に迫害や差別され、障害をもっていて、
貧乏で、肉体労働しながら兄弟姉妹を養っていたら、最強、といったような。
(かつて、小林よしのりの新ゴーマニズム宣言でもそんなこと書いていましたね、
黒人の従軍慰安婦で親無し子の被差別部落出身の障害児が世界最強だ、って内容だったかな)

たまに、君は恵まれている(からそんなことが言えるんだよ)、
というようなことを言う人がいるが、なんか非難されているようで
嫌でした。
しかし、これからは、
羨ましいでしょう、そうですね、親や祖先の徳の高さに感謝します、
と答えるようにしよう。
(色んな事を勘ぐられて差別主義者だ!って言われそう。
嫌な世の中です)

2010年9月5日日曜日

萬葉集22/4516

十市皇女(とをちのひめみこ)の、伊勢の神宮に參赴(まゐおもむ)きし時に、波多(はた)の横山の巖を見て吹芡刀自(ふぶきのとじ)の作れる歌。

 河の上(へ)の ゆつ岩群(いはむら)に 草生(くさむ)さず
 常にもがもな 床處女(とこをとめ)

意味:川のほとりの岩倉には苔も生えていない。
   あのようにいつまでも変わらずにいて欲しいものだ、
   永遠の少女(おとめ)として。

2010年9月4日土曜日

萬葉集20,21/4516

天皇の蒲生野(かまふの)に遊獵(みかり)したまひし時に、額田王の作れる歌。

 あかねさす 紫野行き 標野(しめの)行き
 野守(のもり)は見ずや 君が袖振る

意味:あかね色を帯びる紫の草の野を行く、
   御料地の野を行く、
   —野の番人は見ていないでしょうか—、
   あなたは袖をお振りになる事よ。


皇太子(ひつぎのみこ)答へませる御歌(後の明日香宮御宇天皇=天武天皇)

 紫草(むらさき)の にほへる妹(いも)を 憎くあらば
 人妻ゆゑに われ恋ひめやも

意味:紫草のように美しい貴女、その貴女が憎かったら、
   人妻である貴女を、どうして恋い慕うことがあろうか。





2010年9月2日木曜日

萬葉集17,18,19/4516

額田王近江國に下りし時に作れる歌、井戸(ゐのへの)王のすなはち和(こた)へたる歌

 味酒(うまさけ) 三輪の山 あをによし 奈良の山の
 山の際(ま)に い隠るまで 道の隈(くま) い積るまでに
 つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放(みさ)けむ山を
 情(こころ)なく 雲の 隠さふべしや

意味:味酒の三輪の山が、美しい奈良の山々の際に隠れるまで進み、
   道が折り重なるまで、じっくりと見続け、
   幾度も望み続けていこう山を、
   心なくも雲が隠すべきだろうか。

返歌

 三輪山を しかも隠すか 雲だにも
 情(こころ)あらなむ 隠さふべしや

意味:三輪山をこのように隠すのか、
   せめて雲だけでも心あって欲しいものを
   隠すべきではない。

返歌

 へそがたの 林のさきの 狭野榛(さのはり)の
 衣(きぬ)に 着くなす 目につくわが背(せ)

意味:綜麻(へそ)形の林のはずれの
   野榛(はしばみ)が衣に染みつくように、
   私の目にいつまでも残る君の姿よ


2010年8月29日日曜日

萬葉集 16/4516

稲刈りも無事終えました。

近江大津宮御宇天皇代(おふみのおほつのみやにあめのしたしらしめししすめらみことのみよ)
天命開別天皇(あめのみことひらかすわけのすめらみこと=天智天皇)

天皇の、内大臣(うちのおほまへつきみ)藤原朝臣に詔(みことのり)して、春山の万花(ばんくわ)の艶(にほひ)と秋山の千葉(せんえふ)の彩(いろどり)とを競はしめたまひし時に、額田王の、歌を以ちて判(ことわ)れる歌

 冬ごもり 春さり来れば 鳴かざりし 鳥も来鳴(きな)きぬ 
 咲かざりし 花も咲けども 山を茂(も)み 入りても取らず 
 草深み 取り手も見ず 秋山の 木(こ)の葉を見ては 黄葉(もみち)をば
 取りてそしのふ 靑きをば 置きてそ歎く そこし恨めし 秋山吾は

意味:冬が過ぎて春がやってくると、今まで鳴かなかった鳥も来て鳴く、
   咲かなかった花も咲く。しかし、山は繁り合っていて、
   入って手に取れもせず、草も深く、手折ってみることもできない。
   一方、秋の山の木の葉を見るにつけ、黄葉を手にとっては賞美し、
   青い葉を措いては嘆く。そこに、思わず恨めしさを覚えるが、
   そんな秋山にこそときめくのだ、私は。

2010年8月27日金曜日

最強の漢

格闘技に関わったことのある人間なら、
この問題に多少なりと関心があるのでは無かろうか。
その答えを見事表現した人がいた。
それが、かの合気道の達人「塩田剛三」である。

弟子の「合気道で一番強い技は何か?」という問いに対して
「自分を殺しに来た相手と友達になる事さ」
と答えた。

この言葉の深遠さは言うまでもないが、ふと思うと、
私の思う限りこれに当てはまる人物は歴史上では
「勝海舟」だったのではなかろうか?
勝海舟を殺しに来た坂本龍馬と千葉重太郎を友達どころか、
弟子にしてしまったのだから、しかも、戦うことなく。

ということで、歴史上最強の男は勝海舟である、
などと夜中に愚考を試みたのであった。

2010年8月24日火曜日

萬葉集13,14,15/4516

中大兄(なかつおひね)近江宮御宇天皇(=天智天皇)
三(みつ)の山の歌一首

香具山は 畝火(うねび=奈良県橿原)ををとし 
耳梨と 相あらそひき 
神代より かくにあるらし 
古昔(いにしへ)も 然(しか)にあれこそ 
うつせみも嬬(つま)を あらそふらしき

意味:香具山(女)は、畝火山(男)を男らしいと心移りし、
   古い恋仲の耳梨山(男)と争った。
   神代の昔から、そんなことがあったのだからこそ、
   今に至っても愛する者のことで争うようだ。

返歌
香具山と 耳梨山と あひし時 
 立ちて見に来し 印南國原

意味:香具山と耳梨山が争った時に、
   阿菩(あぼ=出典、播磨風土記)の
   大神が立ち上がって見に来た印南の
   国原(兵庫県播磨、明石)よ

渡津海(わだつみ)の 豐旗雲(とよはたぐも)に 入日さし
 今夜(こよひ)の 月夜(つくよ)淸明(あきらけ)くこそ

意味:海上豐にたなびく雲に落日が輝き、
   今夜の月は清らかであって欲しい

2010年8月22日日曜日

たまには、論語

万葉集から趣向を変えて。
これは、心に留めておきたいと思った言葉。

道之以政 齊之以刑 免民而無恥
道之以徳 齊之以禮 有恥且格

読み下し:これを道(みちび)くに政を以てし、
     之を齊(ととの)ふるに刑を以てす
     民、免れて恥無し
     これを道くに徳を以てし、
     之を齊ふるに禮を以てす
     恥あり、且(か)つ格(ただ)す

意味:法制禁令など小手先の政治で導き、
   刑罰で統制していくなら、
   民は法の網をすりぬけて恥とも思わないが、
   徳で導き、礼で統制していくなら、
   羞恥心を持って、かつ、自らをも正す


別に、今の政治を言っているのではないが、
自分自身、空手で子供を指導する時には、
念頭に置くべきかと思う。
やたらめったら怒ったりするよりも、
子供達に「礼」を教えることの方が
大切なのだと。
自らの「徳」は・・・
今後の課題にします(笑)。

2010年8月19日木曜日

萬葉集10,11,12/4516

暑い暑いと言いますが、
少し蝉の勢力図が変わってきています。
最近はニイニイゼミとツクツクボウシの
鳴き声をよく聞くようになりました。
徐々に、秋が近づいているのでしょう。

中皇命(なかつすめらみこと)、紀の溫泉に往きましし時の御歌

◎君が代も わが世も知るや 磐代(いはしろ)の
 岡の草根を いざ結びてな

意味:君の命も私の命も支配している磐代(地名)の
   岡の草を、さあ、結ぼう
   (磐代の草を結び止めることにより、
   命の永遠と無事、安寧を祈る意味があった。)

◎吾背子(せこ)は 假廬(かりほ)作らす 草なくは
 小松が下の 草を刈らさね

意味:愛しいあの方が一夜の宿を作っていらっしゃる。
   草がなければ、小松の下の草をお刈りなさい。

◎わが欲りし 野島は見せつ 底ふかき
 阿胡根(あごね)の浦の 珠(たま)ぞ拾(ひり)はぬ

意味:私が見たかった野島(地名)は見せて下さいました。
   しかし、海の底の阿胡根の浦(詳細不明)の
   珠はまだ拾ってはおりません


2010年8月17日火曜日

萬葉集8,9/4516

今日は猛暑により、なるべく外は避けています。

後岡本宮御宇天皇代(のちのおかもとのみやにあめのしたしらしめししすめらみことのよ)
天豐財重日足姫天皇、位の後、後の岡本宮に卽き給ひき(=斉明天皇)

額田王の歌
熱田津(にぎたづ)に 船乘りせむと 月待てば
 潮もかなひぬ 今はこぎ出でな

意味:熱田津に船を出そうと、月が出るのを待っていると
潮の流れも良くなった、さあ、漕ぎ出そう。

紀の溫泉(ゆ)に幸しし時、額田王の作れる歌

莫囂圓隣之 大相七兄爪湯氣 吾(わが)背子(せこ)が
 い立たしけむ 嚴橿(いつかし)が本

意味:(莫囂圓隣之〜ノ12句イマダ定訓ヲ知ラズ)・・・
   我が夫が立っていたのであろう、嚴橿の根本に。

2010年8月16日月曜日

萬葉集7/4516

明日香川原宮宇天皇代(あすかのかわはらのみやにあめのしたしらしめししすめらみことのよ)
天豐財重日足姫天皇(あめとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと=皇極・斉明天皇)

額田王(ぬかだのおおきみ)の歌 未だ詳(つまびら)かならず

秋の野の み草刈り葺き 宿れりし 宇治(うぢ)の宮處(みやこ)の 
假廬(かりいほ)し 思ほゆ

意味:宇治の行宮(かりみや)で、秋の野の草を刈って葺き、宿った仮廬を思い出されるなあ

読み下しの参考文献は「新訓 万葉集上巻 佐々木信綱編 岩波文庫」

訳は、不肖私が。意訳もありますが、間違いがあれば、ご遠慮無くご指摘下さい。

萬葉集 5,6/4516

讃岐國安益郡(あやのこほり)に幸(いでま)しし時、軍王(いくさのおほきみ)、山を見て作れる歌

霞立つ 長き春日(はるひ)の 暮れにける わづきも知らず 
むらきもの 心を痛み ぬえこ鳥(どり) うらなけをれば 
玉だすき 懸(か)けのよろしく 遠つ神 
わが大君の 行幸(いでまし)の 山越す風の 獨(ひとり)をる 
わが衣手に 朝夕(あさよひ)に 還(かえ)らひぬれば 
ますらをと 思へる吾も 草まくら 旅にしあれば 
思ひやる たづきを知らに 
網の浦の 海をとめらが 燒(や)く鹽(しほ)の 思ひぞ燒くる わが下ごころ

意味:霞の立つ長い春の日も暮れていくように心の中も寂しくなってゆく、

ぬえこ鳥が鳴くように自然と悲しくなり、 

立派な襷を掛けのような美しいはるか昔の神や、

かつて天皇のお出かけになった山から吹き付ける風の中、

一人でいると私の衣の袖は朝に夕にはためけば、

益荒男と思っていた私だが、仮の床で過ごす旅の中では、寂しさを紛らわせる術を知らない

網の浦で海女達が焼く塩のように、私の心の内も寂しさに焼けるようだ


返歌


山越(こし)の 風を時じみ 寐(ぬ)る夜(よ)おちず 家なる妹(いも)を かけてしのひつ


意味:山越の風が時期はずれに吹くので、

寝る夜ごとに、家にいる妻を心に想い忍んでいたことよ


読み下しの参考文献は「新訓 万葉集上巻 佐々木信綱編 岩波文庫」

訳は、不肖私が。意訳もありますが、間違いがあれば、ご遠慮無くご指摘下さい。

2010年8月15日日曜日

萬葉集3,4/4516

戦争と政治についてはいろんな人がいろんな事を主張されているのでそちらにお任せして。
萬葉集

天皇、内野に遊獵(みかり)しましし時、中皇命(なかつすめらみこと)、間人連老(はしのひとのむらじおゆ)をして獻(たてまつら)しめたまへる歌

やすみしし わが大君の 朝(あした)には とり撫でたまひ
夕(ゆうべ)には いより立たしし 御執(みと)らしの 梓弓(あずさゆみ)の
なか弭(はず)の 音すなり 朝獵に 今立たすらし 暮(ゆふ)獵に
今立たすらし 御執らしの 梓弓の なか弭の 音すなり

意味:この国を安らかにお治めになっていらっしゃる天皇は梓弓を、朝には大事に愛(め)で、夕方にはそのそばにお立ちになり、御手にお取りになった梓弓の弭(ゆはず)に弦(つる)を掛ける音が聞こえている。朝狩りに今行かれるのだろう。
そして、夕狩りに今行かれるのだろう、御手にお取りになった梓弓の弭に弦を掛ける音が聞こえてる。

反歌

たまきはる 宇智の大野に馬竝めて 朝ふますらむ その深草野

意味:宇智の大野に馬を並べて朝野をを踏み立てて狩りをしておいでであろう、その生い茂った深い草の野で。

読み下しの参考文献は「新訓 万葉集上巻 佐々木信綱編 岩波文庫」
訳は、不肖私が。意訳もありますが、間違いがあれば、ご遠慮無くご指摘を。

歴史的外交失策

毎年この時期は嫌いである。戦争も平和の意味もわからぬ輩が跋扈し、題目のように「平和」を唱える。
まあ、この程度は毎年のことであるので、臥薪嘗胆の精神で耐えうることが出来る。
しかし、今年は更にひと味違うことが起きてしまった。
菅政権によって、日韓基本条約で既に解決した事項を蒸し返し、日韓での問題を再燃させ、反日感情をより拡大させてしまった。

100年前は、弱肉強食の植民地争奪戦である。当時朝鮮に西欧諸国に対抗しうる国力はなかった。朝鮮をそのままにしておいたのでは、列強各国の格好の餌食になっていたであろう。それは、日本が常に危機にさらされることを意味した。朝鮮併合は当時の国際事情を鑑みれば妥当な政策であり、国際法上合法的手段によってなされている。そのため朝鮮は植民地ではなく、日本領土として編入されたものであり、その証拠に当時の帝国政府は本土と朝鮮半島との格差をなくすため膨大な投資を行っていた。
故に、そもそも日本と韓国の間に賠償問題は成立し得ないものである。

それ以上に、われわれは100年も前のことに対していつまで、謝罪と反省を繰り返さなければならないのか。
戦争は外交であり、外交は戦争である。こんな事を繰り返していたのでは、いつまでも日本は敗戦国のままである。いつまでこの国は戦後を引きずらなければならないのであろうか。

2010年8月14日土曜日

萬葉集2

4516首もあるので、やる気のある時に、もう一首。
高市岡本宮宇天皇代(たけちのおかもとのみやにあめのしたしらしめししすめらみことのみよ)
息長足日廣額天皇(おきながたらしひひろぬかのすめらみこと=舒明天皇)

天皇、香具(かぐ)山に登りて望國(くにみ)しましし時の、御製の歌。

大和(やまと)には 群(むら)山あれど 
とりよろふ 天(あめ)の香具山 登立ち 國見をすれば
國原(くにはら)は 煙(けぶり)立ち立つ 
海原(うなはら)は かまめ立ち立つ 
うまし國ぞ あきづ島 大和の國は

意味:大和の国には沢山の山があるが、
その中でも最も素晴らしい香具山に登り国を見渡せば、
平原には民達の竈から立ち上る煙が多く立ち上がり、
海原を見ればカモメが沢山羽ばたいている、
なんと素晴らしい国か、秋津島、大和の国は。

読み下しの参考文献は「新訓 万葉集上巻 佐々木信綱編 岩波文庫」
訳は、不肖私が。意訳もありますが、間違いがあれば、ご遠慮無くご指摘下さい。

萬葉集

相変わらず、カメラが行方不明のまま。コンサートの写真がUP出来ません。

それは仕方が無いので、めげずにブログを書いていこうと思う。
このブログは「國のまほろばを見ゆ」と付けているので、少しそれらしいことをしようと思い、日本人の心とも言うべき「万葉集」の歌を少しずつ紹介してゆきたい。
とはいうものの万葉集の歌は全部で四千五百十六首ある。一日一首毎日紹介しても12年以上かかってしまう。まあ、気長に紹介してゆきましょう。

泊瀬朝倉宮御宇天皇代(はつせのあさくらのみやにあめのしたしらしめししすめらみことのみよ)
太泊瀬雅武天皇(おおはつせわかたけのすめらみこと=雄略天皇)

天皇御製の歌

籠(こ)もよ み籠持ち ふくしもよ みぶくし持ち 
この丘(おか)に 菜摘(なつ)ます兒(こ) 家聞かな 名告(の)らさね 
そらみつ やまとの國は おしなべて 吾(われ)こそをれ しきなべて
吾こそませ 吾こそは 
告(の)らめ 家をも名をも

意味:籠も良い籠を持ち、堀串も良い堀串を持って、この岡に菜を摘みに来る娘さん、あなたの家はどこか聞きたい。言いなさい。この大和の国は、一面に私こそが従えているのだ。一面に私こそが治めているのだ。私にこそは教えてくれるだろうね。あなたの家も名をも。

読み下しの参考文献は「新訓 万葉集上巻 佐々木信綱編 岩波文庫」
訳は「旺文社 古語辞典」より

2010年8月3日火曜日

旧暦七夕コンサート

準備が非常に大変でしたが、素晴らしいものになりました。

しかし!残念ながらカメラが行方不明!!
現在捜索中。
見つけ次第、画像をUPします。

2010年7月27日火曜日

旧暦七夕コンサート告知

旧暦七夕コンサートの予定です。

日時:平成22年8月1日 日曜日

   午後5時30分開場

   午後6時30分開演

場所:新宮神社 神楽殿

当日予定(変更する場合もあります)

 フォークロック 人生クエスト

  ジャズ    ラジオ・レベルテ

   &      &

  バラフォン   藤田よう子

休憩

 アカペラ    Inphase

 マリンバ    マリンバデュオ瞳&梓


出店に「かなでカフェ」さんのご協力をいただきました。


2010年6月29日火曜日

旧暦七夕コンサート


毎年8月におこなっている月遅れの旧暦七夕コンサートのメインの方が決まりました。
マリンバ奏者で姉妹で活動されている「マリンデュオ 瞳&梓」さんです。
お二人とも広大出身で西条に馴染みのある方です。当日の美しい音色の響きに期待が持てます。
マリンバについてはこちらを参考に↓
下のポスターは2月に行われたコンサートのものです。
日時は8月1日、日曜日、5時開場となります。
下の写真は去年の様子。



2010年5月7日金曜日

黄金週間

5月1日に第23代奈良大学少林寺拳法部の同窓会があったので、堺に行ってきました。
次の日は大阪、京都観光。写真を載せていきます。

丁度、堺で利休関係の文化財公開されていた南宗禅寺に行ってきた。

千利休は、南宗寺で修業時代を過ごし、利休一族の菩提寺ともなっている。
徳川秀忠、家光によって建てられた坐雲亭。
茶室は利休好み、「実相庵」二畳半。中は公開されていませんでした。

庭は小さいながらも、感じの良い枯山水。この位の規模なら、いつかうちにも作ってみたいものである。
かつては、東照宮も置かれていたが、戦争によって焼失したらしい。
続いて、京都国立博物館。今、長谷川等伯の特別展をやっている。
国立博物館は前から行きたいと思っていたがなかなか行けなかった。
ようやく来れた。
西本願寺。

とりあえずでかい。A4版の本がこんな感じ。

京都らしい。
京都鴨川。この時期くらいから、各店が櫓を組んで川沿いをオープンテラス(もっと良い言い方があるはずですが、思い浮かばない・・・)にしている。なんとも涼しげ。
学生時代に通っていた大阪の空手道場(先生の自宅兼道場兼木工工場)に一泊させて頂いた。
そして、四天王寺。
先日、新宮神社で演奏した雅楽の発祥の地。
舞台は国の重要文化財。



2010年4月22日木曜日

一休宗純

 昨日のNHK「歴史秘話ヒストリア」で、一休宗純が取り上げられていた。
そこで、一休さんの果たした役割に、「戦乱の中にも質素ながら文化サロン的役割を果たし、多くの文化人、知識人が集まり、後の日本を代表する文化の醸造に貢献した」とあった。
これこそ、私の目指すところの姿であろう。文化不毛の時代だからこそ多くの文化的土壌を耕していけたらと思うばかりである。

 一休さんは高校時代に買ったマンガで深く感銘を受けたものがあったのでここに紹介したいと思います。
講談社から出ている「あっかんべェ一休」全四巻、ご存じ一休さんの生涯を、本当に生まれてから死ぬまで、が描かれている。
作者は「坂口尚」。ご存じの方は少ないとは思うが、知る人ぞ知る天才作家。手塚治虫のアシスタントを経てメジャーデビュー、一時は手塚治虫の後継者ともいわれたほどの実力者。
しかし、この「あっかんべェ一休」を書き上げた直後、急性心不全で49歳という若さで亡くなった。
興味がある方はご購入の上、ご一読を。一休宗純並びに坂口尚の世界観の奥深さに心打たれることでしょう。
たった四巻と侮る無かれ、このボリューム。普通の漫画本の二倍以上あり。
刮目して見よ。
補足:新右衛門さんは少しだけ出ます。桔梗屋さんとさよちゃんは出てきません。

2010年4月11日日曜日

神武天皇祭

本日、神武天皇祭が催行された。
神武天皇は相殿の賀茂神社の主祭神として祭られている。また、神武東征の砌に、安芸の国逗留時に、腰をお掛けになられたとされる石が手水石として安置されている。
神武天皇は、「日本書紀」によると、旧暦三月十一日に崩御されたことに因み、新暦の四月十一日に近い日曜日に、当神社では行われている。
雅楽の楽箏と共に祭典は進まれていた。この祭りは一切の余分を取り除いた誠に神聖な祭典となった。
神楽殿にて雅楽奉納。小雨降る中、沢山の参拝者が訪れた。
ほとんどの方が帰ることなく、最後まで観覧されたようであった。
本殿と共に子供達の舞。
喜多流大島家の仕舞い奉納。写真の舞手は、大島衣恵先生、喜多流の女性で初めて能楽協会に登録されたことで、広島県では知る人ぞ知る喜多流の名手。
その動き素晴らしく、流れる水が如く流麗な体捌き、一切の無駄の無い重心の移動。
この舞を見れば、一流は、その道に未熟なものにすら、感動を与えることが可能であるという私の考えをより一層確信に導いてくれる。
私の師匠である大島文恵先生と加藤先生による能管の説明。
今日感じたことは、日本文化は根底に神秘性を含ませることにより、初めてその体を成すということであった。

2010年4月10日土曜日

いよいよ明日、春祭

ようやっと、明日「神武天皇祭」です。
この二週間は病との闘いだった。先週は風邪で苦しんで、今週はメニエールに苦しんだ。
なんとか今日持ち直したみたいで、準備を終わらすことが出来た。
明日は、雨が降らなければいいな。

写真は神武天皇祭のいわれにもなる「神武天皇腰掛石」。
縦額(?)は昨日急いで書いた。臨書体に挑戦。
もう少し練習が必要ですね。改めてまた書こう。
ちなみに字が多少違っているのは、こういう書体なので悪しからず。

2010年4月7日水曜日

文化芸術満足!?

今日の中国新聞の呉・東広島版を見て驚いた。市民満足度調査の記事であるが、そこに既に満足度が高く重要度が低いと市民が判断したものに「文化芸術活動」があがっていた。
一体、東広島市のどこに満足できるような文化芸術活動が行われているのか!!
一体、何を以て文化芸術と呼ぶのか、あまりにも信じ難い調査結果である。
広島大学という巨大大学を抱えながら古本屋にはマンガか流行の本しかない、専門書と言えばせいぜい学生の使った教科書ぐらい。盛んな芸術活動をしているとも思えず、良い芸術作品を観ようと思えば遠くまで足を運ばなければならない。伝統芸能、現代芸術は皆無。無節操に建築の続く高層マンション、田園風景の崩壊、地域伝統力の衰退、挙げればきりがない。
これは逆にとらえれば、市民の文化芸術への関心が低いが為、相対的に満足度が高くなっていると言うだけの話ではないか。
こんな現状であるからこそ、当神社が文化芸術の中心となるべき活動を更に推進していく必要があると痛感させられる。

東広島市民は、もっと文化芸術活動の盛んな地域を見て知り、我が街の遅れを知らなければならない。あまりにも求めるものが低すぎる。
食うて寝るだけなら畜生と変わりはしない。
人間の真の幸福は、文化芸術が充実してこそ感ぜられるものである。

2010年4月6日火曜日

春の様子

冬眠から覚めた蛙たちが鳴き奏でる宵の口。
少し当神社の様子を写真に撮りました。

4月4日(賀羅加波神社)

私方の神社によくお世話いただいている神職さんのお勤めの賀羅加波神社へお手伝いに行ってきた。場所は三原の中之庄町。今日は春期例祭。


2010年4月1日木曜日

4月1日

雨が降っています。
押し入れを整理していたらこんなものが出てきた。
大学時代にお世話になった奈良市の地図。
奈良大生だった私はこの地図を片手に、自転車や原付であちこち行ったものです。
お陰で地図はぼろぼろ。持つと分裂しそう。
今日は様々なところで入社式や入学式があると思います。
奈良大学も4月1日が入学式でした。当時はよく晴れた日でした。
もう15年も前のことですが、昨日のことのように思い出せます。
でも毎年今日が新たなスタート。新たな一年の新入生です。

2010年3月16日火曜日

神武天皇祭

 きたる4月11日(日曜日)に神武天皇祭が執り行われます。
 当神社の手水に使われている石は、「神武天皇腰掛け石」と呼ばれ、神武天皇が腰を掛けたとの伝説があると同時に、祭神の一柱として神武天皇が祀られています。
 前年度までは、氏子総代の集まるだけの小さなお祭りでしたが、今年は、雅楽、能舞の奉納されます。
 どうぞお誘い合わせの上、お参り下さい。

2010年3月15日月曜日

近つ飛鳥博物館、平城宮蹟

 大学時代の後輩が学芸員として勤めている「近つ飛鳥博物館」に行ってきました。
大阪の河南町にあり、大阪府といっても森や畑の中にある非常に分かりにくい場所にある博物館です。今回で2度目の訪問。

 建築の設計は安藤忠雄、打ちっ放しのコンクリートが特徴。
曰く、古墳の内部、横穴石室をイメージし、死と再生を表しているとか。
「って、どー見てもゴミ焼却炉やん!!」
初めて見たときはおもっきり突っ込んでっしまっていた。
バブル臭をぷんぷん放っている。正直、安藤忠雄建築は好きではない。
 今回は後輩の企画展を見に来たのだが、後輩は女の子で、結婚もしている。仕事柄、主婦業との両立が大変難しく、退職を考え、今回で最後の企画展になるのではないか、ということで訪問した。
しかし、博物館側が彼女を慰留し、勤務時間を減らすように話が進んでいるらしいので、まだ続行できるかもしれないということ。


 後輩とはいえ、女の子である。実際、こういう仕事でもしていない限りなかなか気軽に会いに行けるものではない。ある種の自分の表現手段を持っている人間とは互いに、性別・年齢等を越えて交流が持てる。そういった意味でも彼女は貴重な存在である。
 彼女自身も、学芸員の仕事のお陰で、利害関係なく多くの人と知り合うことが出来る、と嬉しそうに話をしていた。確かに彼女との話は、ここで学んだ様々な引き出しを備え、尽きることが無い。
 特殊な仕事だけに、是非とも続けて欲しいものである。
 後輩と会う前に、平城宮蹟を見て回った。
このだだっ広い空間は、大学に通うため、自転車や原付を走らせた思い出、ソフトボール大会や毎年花見をした思い出がある。
 このときも、高校のクラブ活動の練習や、凧をあげるおじさんとかがいた。
 いわゆる奈良市民の憩いの場でもある。
 遷都1300年事業で太極殿の建築が進んでいた。
 あまりの変わりように、当時通った道は大幅に変更され、どこを通ったか分からず、懐かしいと言うより、驚きの方が大きかった。
変わったのは、平城宮蹟だけではなく、奈良の街もそこら中に新しい道が建設され、さっぱり分からなくなっていた。年度末と1300年が本格的に始まると言うこともあって、街中至る所で工事が行われていた。
 大学を卒業して10年経つが、まさに十年一昔である。

2010年3月9日火曜日

現代人は本当に忙しいのか?

本日、能の稽古日でした。
稽古の途中の休憩に3月14日に広島市の妙慶院というお寺で「春の会」の案内をいただいた。
その妙慶院で能を習われている方たちのいわゆる発表会である。
案内には出演者の名が書かれてい。
それを見た方が、「女の方が多いんですね。」と言われた。
先生は、それに対し「ええ、昔は男の方の習い事だったんですが、特に昔は旦那衆というのがあって多かったんですが、最近は女の方が多いですね。もう旦那衆というのがないですからねえ。他の習い事にしても私の年齢(20代後半から30代前半)くらいの人というのは少ないようですね。」

確かに私の周りでも皆、朝早くから夜遅くまで仕事をしているものが多く、時間的余裕がない人が多い。割と時間的自由がきく私は、忙しい人を前にすると何となく罪悪感すら覚える。

しかし、不思議なことである。現代には様々な時間を短縮するためのものが溢れている。移動手段の車などは言うに及ばず、洗濯機、掃除機、電子レンジやガスコンロに冷蔵庫、食器洗浄機、風呂焚き、水道、これらはみな、労働を軽減させ労働時間短縮のための道具である。
その他、まだ沢山の便利道具がそこら中にあるはずである。皆が豊かになるためにこれらのものは作られてきたのではないか?
なのに、何故人は未だ忙しいのであろうか?

もう一つ疑問がある。
今度、オランダ人の知り合いが、4月から日本にやってくる。滞在期間は4ヶ月である。
4ヶ月と言えば日本人の感覚なら、仕事か、留学などの特別な理由があって来ると思うであろう。が、これは仕事で来るわけでもなく、仕事を辞めてくるわけでもない。
ちゃんとした休暇である。有給休暇が貯まっていたらしいので、来日中の4ヶ月間もちゃんと給料が出る。

日本人の勤勉さは素晴らしいものがあるとは思う。
しかし、少しはこのオランダ人の3分の1でも休暇が取れるようにしなければ、日本の文化は確実に死滅していくのではなかろうか。より洗練された文化は、時間的余裕が無ければ発展は成り立たない。
同じ先進国でありながら、しかも、人口二千万にも満たない国だ。何故こんなにも違いが出るのだろう。
現代日本人は何故こんなに忙しいのだろうか?昔と今、また、日本と海外、何が一体違うのだろうか?

2010年3月6日土曜日

ウルっときた歌。

今日、三原で地鎮祭があった。
その帰り、車のラジオから流れてきた歌にウルッときてしまった。
ネットで調べたら、フルで公開されていたので、ここに載せておく。


私としては動画のない方が、自分の思い出に直結して心の琴線にダイレクトに触れてくるように思う。

2010年2月3日水曜日

節分豆撒き

本日、節分の豆撒き。
弓神事などの祭典の後、年男による豆撒き。
沢山の方の、お参りがあました。