2010年10月30日土曜日

武術の可能性

最近、武術の可能性に大きく期待が持てるように思えてきた。
いままで、絵画や文章を使って自分の思いを人に伝えようとしてきたが、どうにも限界を感じることが多々あった。
しかし、この一年でかなりの進度で自分の武術を深めることが出来たと実感しているが、これを人に伝えた時、相手に大きな驚きを以て伝えることが出来る。勿論、言葉や文章で伝えるのでなく、実際に実演し、体感してもらうことで可能となる。
前回、ブログで書いた突きや、甲野先生に教えていただいた体術を実践すると、相手にビビットに伝わる。特に説明した時に「嘘だろう、そんなわけがない」という顔をしている人間ほどそのギャップが大きくなるので見ていて心地がいい。

このことが一体何になるのか、そんな疑問を持つ方もいるであろう。
現代日本人の問題は、自分の知る世界、目に見える世界以外は信用しない人間が増えた事ではないかと思う。そんな人間にどんなに文化芸術の素晴らしさ、精神の重要さを説いたところで、その人間に受け取るだけの見識がなければ、馬の耳に念仏である。

 しかし、武術の場合は体感である。どんなに頭で理解出来ない事であろうと、信じられないことであろうと、今現実に目の前で起こっていれば理屈もへったくれもありはしない。受け入れざるを得ないのである。
すなわち、相手に、自分の知る世界とは、全く別の違う世界があると、体で理解させることが可能なのである。
結局、現代日本人は頭でっかちになりすぎ、多くの勘違いに支配されているのが現状である。この固まった現代的認識を壊すことで人間の見識を広げ、様々なものを伝える為の大いなる手がかりになるのではないかと、可能性を感じている。そして、しいてはそれが、武術だけではなく、日本文化の素晴らしさを伝えてゆくことに繋がってゆくのではないかとすら愚考している。

その可能性を更に広げるために、武術修行に励み、自身の技の完成度をより高めなければならないという思いが高まってゆく。

(しかし、日本人に日本文化の素晴らしさを伝えなければならない、とは全く以て意味の分からん世の中ですな。)

2010年10月18日月曜日

恐ろしい話

ここ最近、尖閣諸島の話題が出る度に憂鬱な気分と無力感に苛まれてしまう。
そんな中、こんな話があったそうな。

『 18日の参院決算委員会で自民党の丸山和也氏は、事件で逮捕した船長の釈放には、来月横浜で開くアジア太平洋経済協力会議(APEC)に影響することへの懸念があったとし、釈放直後に仙谷官房長官と電話で話した内容を“暴露”。

 「判決まで拘置して強制送還すべきだった」と訴えると、仙谷氏は「APECが吹き飛んでしまう」と答え、「日本が中国の属国になる」との懸念を伝えると、「属国化は今に始まったことではない」と応じたという。

 仙谷氏は答弁で「健忘症にかかったか、今暴露された会話の記憶は全くない」と否定。18日夕の記者会見では「何らかのことを友人関係で話したとすれば、国会で質問されるのは不本意だ」と不快感を示した。

(2010年10月18日20時18分 読売新聞)』
誰だ!!こんなやつに投票したのは!!!
私は、民主党政権になった時、一番恐れていたことが、外交上の失策であったが、
予想通り、いや、恐ろしいほど予想以上の失策であった。
しかも、更にこの失策は未だ現在進行形なのである。

丸山氏の国会質問はネットで見られるようになっているので、
興味のある方は是非ご覧になると良い。

こんな人物が国のトップだと言うことも恐ろしいが、
このことをあまり報じないメディアはそれ以上恐ろしい。
こんな時にこそ、権力の監視をするのがメディアの役目ではないのか!!!!!

日に日に無力感に情けない思いがつのってゆく。

2010年9月26日日曜日

逆説的希望

尖閣諸島問題はこじれにこじれ、最悪の状態になってしまっている。
この問題は多くの人が、論じているので、
浅学の私が改めてここで取り上げる必要は無いであろう。

ただ、この問題は今後、更に問題を呼び、日中の歴史問題までに発展し、
日本をアジアのリーダーと期待する東南アジア諸国の信頼を著しく失墜させ、
ひいては日本経済にまで悪影響をもたらすであろう。

しかし、私はこの事件のお陰で僅かな希望を持っている。
それは、このことで日本人の国家観、国際社会の現実について
少しでも認識が改まってゆくのではないかと。

日本人は、戦後から、防衛、国家戦略をアメリカに任せてきた。
その為、日本では、国家の防衛、国際間に於ける国家戦略を持つことは、
国際社会に不安を与え、紛争の火種になるのではないかと、
勘違いするようになってしまった。
そして、日本が軍備をもたず、国家同士の摩擦を避けること、
つまり相手国の嫌がることはせず、その上、主張もしなければ、
世界は平和に保たれると本気で信じる人間を大量生産することとなってしまった。
私は、そんな思想を「お花畑思想」と呼んでいる。

今回、日本政府は、軍事的圧力を見せるどころか、経済的圧力、
いや、日本の正当性の主張すら放棄してしまった。
この行動は前記の「お花畑思想」の考えでは、このままアジアの安定が
保証されるはずであった。
しかし、現実は日本の領土、領海を侵略されかねない危機を迎えている。

この状況を見て、日本人は目覚めるのではないか。
国際社会はエゴとエゴのぶつかり合いであり、トラブルとなろうとも、
はっきりとした主張、また、時には相手国への制裁を加え、
そして、二国間だけでなく、国際社会に自らの正当性を訴えなければ、
自らの現状すら守れないという現実。
その為に必要不可欠なことは、日本人としての誇りを取り戻し、
自分たちの守るべきものは何かを認識し、アメリカに任せてきた防衛を
自分たちの手に取り戻し、真の自主防衛を実現し、アジアの中の日本としての
国家戦略を明確にすることであると、気付くのではないか。
それは、時間のかかることかもしれない。

だからこそ、このまま中国が傍若無人の振る舞いを、むしろ続けてくれる方が、
長い目で見た時、日本にとって有益なのではないかとすら思えてくる。

日本国民は、この事件をきっかけに自国を守るのは自分たち国民であるという意識に
目覚めることに、私は期待する。

2010年9月24日金曜日

尖閣諸島は中国のもの

になってしまったようです。
絶対に譲歩してはいけない場面で中国人犯罪者を
釈放してしまったのですから。

ある人が言っていました。
「団塊の世代は、国家解体を目指して学生運動をしていた。
 そんな世代が政権を担うようになったのだから、今の日本の
 中枢の国家意識は非常に脆弱である。」
まさにその通り。国家の生命線とも言うべき領土問題(政府会見では、
尖閣諸島には領土問題は存在しませんが)で簡単に引いてしまった。
外交は戦争である。外交上の敗北、つまり日本はまた敗戦国となったのだ!!
我々はいつまで、敗戦処理をしなければならないのか!!!!

この根本は、日本人の大勢が勘違いしている「戦争と軍隊」への認識に起因するように思う。
このことについては、いずれ、このブログでも論じるつもりである。

今日は新たな敗戦記念日となった。

2010年9月19日日曜日

甲野善紀先生

昨日、福山での甲野善紀先生の稽古会に参加してきました。
1時半からの開始でしたが、道が混んでいたこともあって、15分ほど遅れて参加。
4時半まで、3時間休み無しの密度の濃い稽古会でした。
甲野先生のことはご存じの方も多いとは思いますが、様々な分野に古武術を応用されメディアでも注目される人です。(笑っていいともにも出演歴あり)
私にとっては、この人の著書により武道観が変わるきっかけになった人であり、お会いしたい人No.1の人物でだったのです。
そして、この人、本物です。いろいろ技をかけてもらったり、実演してもらったりしたのですが、多くの武道家が不可能だと言っていることを、いとも簡単にやってしまう。
私は、大学時代少林寺拳法もやっていたので、関節技の逃げ方、抵抗の仕方はだいたい分かっているつもりでした(過去形になりました)。甲野先生が技を掛ける時、おおよそ普通の武道家なら嫌がるであろうようにするのですが、いとも簡単に崩され、制されてしまう、しかも、力任せではなく、赤ん坊をあやすが如く。そんな私でしたから、見本に丁度良いと思われたのでしょう、ことあるごとに技を掛けられました。まったく光栄の至極です。
技については、ここで文字に起こすのはなかなか難しいので略しますが、ちょっとした、手の握りの形や、意識の変え方で、嘘のように技が変わってくる。
「先生、どうして、そうなるのですか?」と聞けば、
「よく分かりません、ただ、こうすると自分の体の中で繋がったという感覚はあるんです。これを発見した時、自分でも驚きました。ほんの少しの違いなんですけどね。この時は力が伝わるけど、こうしたら全然力が伝わらない。」と言って、僅かに手の向きを変えながら、教えていただきました。
本当に濃い時間でした。

その後、甲野先生との懇親会にも参加させていただいたのですが、稽古会より更に濃い時間となったのでした。話題の豊富さ、顔の広さ、は尋常ではなく、その上、全く偉ぶることもなく、気さくに、いろんな話を聞かせていただけました。しかも、ホテルの中華料理屋にも関わらず、技まで掛けられました(笑)

甲野先生は「この体の使い方は、先月に気付いたのですが・・・」と言う言葉が飛び出し、御年61歳となられて尚進化しておられる。
福山にはわりとよく来られているらしいので、次回も続けて参加しなければ!!。

2010年9月14日火曜日

亡国ここに極まれり

沖縄県・尖閣諸島沖の東シナ海の日本領海で
中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突した事件があって暫く経つ・・・。

朝のニュースを見ているとあまりに腹が立った。
TOP、重要ニュースが、民主党代表選挙や押尾学裁判のオンパレード。
領土問題は国家の最重要課題である。そのはずなのに、
新聞やテレビ、果てはネットニュースまで、
この問題についての扱いがあまりにも小さすぎる。
今、日本は国土防衛の岐路に立たされているにも関わらず、
国民的関心がこのように低い状態であって良いはずがない。
意見、考え、主義主張はどちらでも構わない、
今こそ国家防衛、外交方針について、マスコミが国民に喚起すべきではないのか。
この重大問題に議論すら起きない状態はあまりに異常である。
口蹄疫の時といい、何かがおかしい。
これだけ報道がなされないと、報道統制でもかかっているのではないかと
勘ぐってしまう。

そして、なんの力もない自身への無力感。

この国の国民はどこまで自国に関心を持たないのであろうか・・・。

2010年9月13日月曜日

不幸が好きな人たちへ

なかなか的を射ている記事があったのでそのまま抜粋します。

「他人のカネの使い方に文句をつける奴がいる。
ちょっと前に、麻生首相がホテルのバーで飲んでたら「庶民感覚がない」とか叩かれたけど、
金持ちが貧乏人みたいな生活してたら、社会に金が回らんだろう。
金持ちの預金残高が増えて、貧乏人が失業して余計貧乏になるだけだ。
むしろ、金持ちが豪勢なカネの使い方をするのは、社会に対する責務だろう。
たくさん稼いだらたくさん使って社会に還元する方が、貧乏人にとっては余程ありがたいことだ。
そういうのは結局、「俺が貧相な生活で我慢してるんだから、お前も我慢しろ」という、
貧乏人のひがみ、ねたみ、そねみであって、それが回りまわって貧乏人の首を締めてるんだから馬鹿な話だ。
日本人によくある愚かな同調圧力としか言いようがない。


それに対して、金持ちが「どうやって大金を稼いだか」は、あまり問題にならない。
他人を騙したり、不幸にしたりしてカネを稼いでる奴がいっぱいいるのに、
被害者が大勢出てきて社会問題にならないと、滅多に断罪されることはない。
社員や取引業者を恫喝したり、使い捨てにしたり、過労死させたりしている会社はたくさんあるが、
そういう会社が(違法に利益を得て)業績を伸ばすと、断罪されるどころか賞賛される。
社長がテレ東のドキュメンタリーに出演して、愚にもつかない精神論を垂れ流す。
それを見た中小企業のオヤジが、「ウチもあれくらいやらないとダメだ!」とか言い出す。不幸の連鎖。


どうしてこう、日本人は不幸自慢が大好きなんだろうか。
他人の幸せを「羨ましい、ああなりたい」と言わずに、「けしからん!」と言ってしまうのか。
みんなで幸せになることが社会の目的じゃないのか? 」

いろいろ考えさせられます。

確かに、不幸なやつの方が偉い、というような空気感はありますね。
ともすれば、二親ともいなくて、人種的に迫害や差別され、障害をもっていて、
貧乏で、肉体労働しながら兄弟姉妹を養っていたら、最強、といったような。
(かつて、小林よしのりの新ゴーマニズム宣言でもそんなこと書いていましたね、
黒人の従軍慰安婦で親無し子の被差別部落出身の障害児が世界最強だ、って内容だったかな)

たまに、君は恵まれている(からそんなことが言えるんだよ)、
というようなことを言う人がいるが、なんか非難されているようで
嫌でした。
しかし、これからは、
羨ましいでしょう、そうですね、親や祖先の徳の高さに感謝します、
と答えるようにしよう。
(色んな事を勘ぐられて差別主義者だ!って言われそう。
嫌な世の中です)