2011年1月17日月曜日

寒い

池がこれだけ凍るのは何年ぶりだろうか?
手水も落ちたままになっていた柄杓が
一緒に凍ってしまった。
ぶさいくな事です。
おまけ



2011年1月16日日曜日

2011年1月14日金曜日

左義長祭(トンド)

今日は「とんど」です。
正月に家に降りて来て頂いた年神様が山へお帰りになり、
とんどで焚き上げを行い、餅を焼いて食べる。
そして、次の日に、とんどの火で焼いた餅を
おかゆと一緒に煮込んで食べて、
名実共に我が家での正月が終了します。

更に、お宮のこの「とんど」の火を使って、
各部落で「とんど」を行ない、始めて正月の終了です。
実は、15日のとんどまでが正月行事の一通りの流れなのです。
ですから、よく、4日以降に、まだ、正月気分が抜けない、
と言っておられる方が居ますが、いいんです!!
15日までは正月行事が続いているのですから!!!
御札や御守り、破魔矢などに宿っている神様達に
元の所に帰っていただくようお祓いをし、
点火。

この火で鏡餅など、お供えしたお餅を焼き、
食べると、一年無病息災。

2011年1月8日土曜日

「〜させていただきました」の乱用

最近、とにかくこの「〜させていただきました」との言葉が
氾濫しているのには、辟易してしまっている。
今日もネットで買い物をしたところから、メールが届き、
「商品を発送させていただきました。」となっていた。
いやいや、そこは「発送いたしました」でええやろう!!

もう、耳障り、目障りで、本来使うべき所での使用すら
過剰に反応してしまうようになって、何が正しいのか
分からなくなってしまう始末である。

と、思っていたところこんなサイトを発見したので、
紹介させて・・・、いや、紹介致します。

言葉の誤用の一番の問題は、多数が使用することによって
本来の正確な使用をしているものを誤用としてしまい、
正当なものを駆逐してしまうことである。

まさに「悪貨、良貨を駆逐す」である。

皆さんも、ご用心!!

2011年1月7日金曜日

恩師の個展

本日、広島市内のギャラリーZEROで、美術専門学校時代の恩師であるN氏の個展があった。
彼女は私が23の時、28歳であったが、早くも40歳になったそうだ。
年月というのは早いものである。
N氏の絵は独特な雰囲気を醸しだし、私に創作意欲を沸き立たせるものであった。
氏も私の製作を勧めるのだが、いかんせん今は絵画に対する情熱が湧いてこない。
しかし、いつかは今、体感しつつある感覚を表現出来ればとは愚考している。
その表現方法が今は、まだ見つからない。
そんな中ではあるが、この個展はいい刺激にはなった。

作品の説明をするN氏。

2011年1月1日土曜日

あふれる参拝者

心配していた天気も、晴天に恵まれ、
沢山の人で賑わいました。
昨日も書き込みましたが、
本当にこれが昨日と同じ場所かと見まごうばかりの
人、人、人だかりです。
車も多く、駐車場はパニック状態でしたが、
Nくん、K太くんの2人が警備をやってくれたので
何とか、うまく回すことが出来たようです。
ありがとうございました!!

K太くんは仕事が終わった後、一生懸命巫女さんを口説いていましたが
あえなく玉砕したようです。
しかし、彼は底抜けに明るく、めげずに、
次の違う女の子を口説こうとする姿は、
毎年の恒例行事のようになり、
我が家では正月一番のエンターテイメントになっております。
K太くん、来年も是非お願いします!!

2010年12月31日金曜日

本年の総括


正月準備も終わり、後は時間が経つばかりである。
毎年ながら、12月31日から1月1日になる時の
状況の変化には不思議な気持ちになります。
今日は神社に参る人は僅か2,3人であるが、
明日になると、ひっきりなしに千人単位で
人が参る。
一体何が起きているのか?
ああ、正月か・・・
昨日と今日がこれだけはっきり違うのは
一年に一度だけであり、後は、徐々に
人が減っていき、いつの間にか春を迎えているというのが
毎年の感覚である。特に、我が家では1月14日のとんどを
終わらせるまでが正月、という感覚で生きている。
そして、その延長で厄払い、節分、厄払い、と過ぎ、
いつの間にか、3月になるのである。
ともかく、誰もいないこの所に、次の日には何千人も
集まるというのは不思議以外の何ものでもない。

それはさておき、この一年を振り返ってみると
特別良いことがあったとか、劇的な変化を遂げた、
ということは無かったが、一言で言うと
出会いの年であったと言えるように思える。
その出会いで今日と明日が変わることは無いが、
そしてそれが、自分の中での変化に確実に関わっている。
前述したように劇的な変化は無いのであるが、
変化への繋がりとしての意味はあまりにも大きかった。
人は誰しも変身願望があるという、しかし、その為には
一つ一つの着実な積み重ねが必要となる。
同じ事の繰り返しは大事であるが、一回目と十回目が
同じでは意味がない。一回目から十回目の中には何らかの
変化が生じるところに繰り返しの意味がある。
今日と明日は僅かながら違った人間である。

「すべてには時が有り、縁がある。」

時を迎えるため、縁を迎えるための人間にならなければ
ならないのであろう。

この後、我が家では、年床さんをお迎えする。
いわゆる歳神である。正月の意味は、各家庭で
この神をお迎えし、もてなし、新年の安寧を祈念するというもである。

来年も良き年でありますよう心から願うばかりである。